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富嶽三十六景 富嶽三十六景 富嶽三十六景



浮世絵と言えば“冨嶽三十六景”を思い出す人も多いと思う。
千変万化に描く葛飾北斎の冨嶽三十六景は、洋の東西を問わず
芸術分野に広く影響を及ぼしたことは多くの事例で明らかである。


赤富士と呼ばれる「凱風快晴」や「神奈川沖浪裏」などをどこかで
見かけられたことも多いと思う。しかし、すべての図を見たことが
ある人は多くないのではないだろうか。


凱風快晴 神奈川沖浪裏
凱風快晴 神奈川沖浪裏


平成17年9月、原宿にある太田記念美術館で“特別展-全揃い
冨嶽三十六景展”が開催されていたので観に行ってきた。


この冨嶽三十六景、実は全部で46図ある。なのに何ゆえ36景
なのか?!



素朴な(?)疑問をもったが、兵法三十六計とか東山三十六峰、
お江戸八百八町と同様たくさんあるという意味で、なお且つ
語呂が良いからからかも…と勝手に理解した。
さて、北斎はなぜ富士山を描いたのか、また何を目的として
このシリーズを手がけたのだろうか。


北斎の冨嶽三十六景は天保2年(1831)頃の出版であるとの
説が有力であり、当時の売り出し広告が残っている。


その中に「此絵は富士のかたちのその所によりて異なる事を
示す 或は七里ヶ浜にて見るかたち又は佃島より眺る景など
総て一やうならざるを著し山水を習ふに便す 此ごとく追々
彫刻すれば尚百にもあまるべし 三十六景に限るにあらず」
とある。
(*1)


でも、なぜ富士山なのか...江戸時代からと言われているが、
一富士、二鷹、三なすびとか、1番高い山であるし、日本を
象徴するものとして捉えられているからだろうか。






そういえば、横山大観も「海山十題」に富士山の絵を画いて
いる。
やはり、富士山は日本人の心の中に象徴的なものとして存在
しているようだ。



葛飾北斎
東海道江尻田子の浦略図

横山大観
山に因む十題の内

砂丘にそび


そもそも絵の世界では実在と非実在の情景を巧みに混在させ、
それでいて現実味を失わないようなものも多い。


とはいえ、実景を捜し求めることは無意味であろう。
北斎の「東海道江尻田子の浦略図」も大観の「砂丘にそびゆ」も
時代背景は違えども日本のどこにでもありそうな風景である。


「東海道江尻田子の浦略図」では、荒波の中で漁をする舟が
主役であろうし、「砂丘にそびゆ」では中央にある松林と大観が
よく用いる手法であるが、風景の大きさを示す尺度として配置
した鴎が主役である。





横山大観
山に因む十題の内
龍躍る
葛飾北斎
山下白雨


この2枚の絵、構図が似ているところが面白い。
横山大観の「龍躍る」は、長い間行方不明になっていた2枚の
幻の絵のうちの1枚である。



富士山と稲妻を描いた北斎は、きっと富士山を強く、畏怖の念
を抱く存在として描いたのではないだろうか。
稲妻はさらにそれを強調したかったからではないか。
霊峰富士のイメージを高めるためにも...。


一方、大観も富士山に対して北斎と似たような気持ちを持って
いて、絵の右下にある渦巻き状の雲と雷光の間にのぞく龍で
それを表現した。…と解釈したらどうだろう。



あまりにも冨嶽三十六景が有名であるが、美人画や読本挿図、
絵手本としての北斎漫画など彼の業績は多岐にわたっている。
90歳まで生きた北斎は、当時としては異例の長寿であった。
しかしそれよりも冨嶽三十六景を70歳を過ぎてに完成させて
いることに驚きを禁じ得ない。


年老いてもなお、様々な表現の可能性を求めた北斎にとって、
90年の歳月はまだまだ足りないものであったことと思われる。
                                         (記:前田)
*1:「特別展-全揃い冨嶽三十六景展」図録 太田記念美術館
  P.97-P.100「冨嶽三十六景」の出版経緯と本質 永田生慈 より抜粋
☆:冨嶽三十六景図は「特別展-全揃い冨嶽三十六景展」図録 
  太田記念美術館 より複写したものである
☆:横山大観の絵は“発見された 横山大観「海山十題」展”図録より
  複写したものである。




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